大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)7956号 判決 1991年10月30日
《住所省略》
原告 ジェネンテック・インコーポレイテッド
右代表者 トーマス・デイ・カイリー
原告訴訟代理人弁護士 品川澄雄
右同 吉利靖雄
《住所省略》
被告 東洋紡績株式会社
右代表者代表取締役 瀧澤三郎
《住所省略》
被告(株式会社東洋紡バイオテック承継人) 株式会社 東洋紡医薬
右代表者代表取締役 中原龍男
被告ら訴訟代理人弁護士 板井一瓏
右同 高木茂太市
右両名輔佐人弁理士 安達光雄
主文
一 被告らは、別紙目録(一)記載の方法を用いて同目録(二)記載のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を製造し、販売し、販売のために宣伝、広告してはならない。
二 被告らは、別紙目録(三)記載の血栓症治療用製剤を製造し、販売し、販売のために宣伝、広告してはならない。
三 被告らは、その所有する第一項記載のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子及び第二項記載の血栓症治療用製剤を廃棄せよ。
四 訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
五 この判決は、原告が被告らのために一括して金一億円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
主文第一ないし第三項と同旨
第二事案の概要
一 原告の権利
原告は、左記の特許権(以下「本件特許権」といい、各発明を一括して「本件発明」という。)を有する(争いがない)。
1 発明の名称 組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子
2 出願日 昭和五八年五月六日(特願昭五八―七九二〇五)
3 優先権主張
(一) 一九八二年(昭和五七年)五月五日
(二) 同年七月一四日
(三) 一九八三年(昭和五八年)四月七日
の各アメリカ合衆国特許出願(以下、順次「米国第一出願」、「米国第二出願」、「米国第三出願」という。)に基づく優先権主張(以下、順次「第一優先権」、「第二優先権」、「第三優先権」という。)
4 出願公告日 昭和六二年四月一五日(特公昭六二―一六九三一)
5 登録日 平成三年一月三一日
6 登録番号 第一五九九〇八二号
7 特許請求の範囲(以下「本件特許請求の範囲」という。)
「1 ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する、以下の特性:
1)プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する
2)フィブリン結合能を有する
3)ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す
4)クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する
5)一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る
を有する、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子であって、以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる活性化因子:
別紙目録(四)記載の部分的アミノ酸配列。
2 ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAで形質転換されたヒト細胞以外の宿主細胞を、該DNAの発現可能な条件下で培養して、以下の特性:
1)プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する
2)フィブリン結合能を有する
3)ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す
4)クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する
5)一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る
を有し、以下の部分的アミノ酸配列:
別紙目録(四)記載の部分的アミノ酸配列
を含んでいる組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を産生させ、次いで該組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を回収することを特徴とする、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の製造方法。
3 ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する、以下の特性:
1)プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する
2)フィブリン結合能を有する
3)ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す
4)クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する
5)一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る
を有し、以下の部分的アミノ酸配列:
別紙目録(四)記載の部分的アミノ酸配列
を含み、ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子の治療上有効量を、薬剤上許容し得るキャリヤーと混合して含有する血栓症治療剤。」
二 本件発明の明細書の記載内容
本件発明については、平成二年八月二四日付で、同年三月三〇日付拒絶査定が取消され、特許をすべき旨の査定がなされたが、右査定時の明細書及び図面(以下「本件特許明細書」という。)の記載内容は、特許出願公告公報(以下「公報」という。)に掲載の明細書及び図面の記載内容に、出願公告後の昭和六三年一二月一五日付手続補正書(以下「甲一七補正書」という。)及び拒絶査定に対する審判請求時の平成二年七月五日付手続補正書(以下「甲三二補正書」という。)による各補正がなされたものである。これを整理すると補正箇所は、発明の名称「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」が「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」と補正されている外、別紙特許公報訂正箇所指摘書の直線で四角に囲った箇所であり、補正の内容は同書の「訂正後」欄に記載のとおりであり、補正後の本件特許明細書の第5A~C図は、別紙目録(五)記載のとおりである。
三 本件発明の概要(但し、本件発明の技術的範囲については後に判示する。)
1 本件特許請求の範囲は、前示のとおり三項からなるが、第一項は、「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」という物の発明(以下「第一発明」という。)であり、第二項は、組換DNA技術を用いて「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」を製造する方法の発明(以下「第二発明」という。)であり、第三項は、「組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」を有効成分とする血栓症治療剤という医薬の発明(以下「第三発明」という。)である。
本件特許請求の範囲各項に共通の「組換」とは組換DNA技術を用いて得られるということであり、「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」とはヒト(人)の持っている組織プラスミノーゲン活性化因子産生の遺伝子に由来する組織プラスミノーゲン活性化因子であるということであるから、結局、本件発明は、組換DNA技術を用いて得られるヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に関する三つの発明からなるということになる。
2 組換DNA技術とは、例えばヒト細胞の持っているインシュリンやインターフェロンなどの有用物質を効率的に人体外で量産する場合に応用される技術であって、遺伝子組換技術ともいい、有用物質生産のための遺伝情報(DNA断片)を組込んだベクター(目的とする遺伝情報を持つDNA断片の運び屋として用いられるもので、プラスミドもその一種である。)を増殖能の大きい大腸菌や酵母等の宿主細胞に導入して形質転換し、形質転換宿主細胞を培養して有用物質を産生させ、かくして生産された有用物質を培養培地及び宿主細胞から分離回収する技術である。
3 ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子は、tPA又はt―PAと略称されるが、これはTissue Plasminogen Activatorの略語であり(以下、公報記載の原文等を引用する場合など格別の必要がある場合を除き、略称の「t―PA」で表記することとする。)、ヒトの血液中において、プラスミンの前駆体たるプラスミノーゲンに働きかけてプラスミンに変換し、このプラスミンが血栓(血管内で線維素〔フィブリン〕という難溶性の蛋白質が集って不溶性の線維素網を作ることによって生じる凝血塊)を形成している線維素を溶解して、線維素網を除去することによって血栓症を治癒せしめるという機能(線維素溶解能)を有するプラスミノーゲン活性化因子の一種である。
4 t―PAは蛋白質の一種である。蛋白質は二〇種類のα―アミノ酸(アミノ基〔NH2〕とカルボキシル基〔COOH〕が同一炭素原子〔C〕に結合していることを共通の構造とするアミノ酸)から構成されている。蛋白質は、α―アミノ酸がペプチド結合(NH―CO)によって長く鎖状につながった構造であり、蛋白質を構成している各アミノ酸部分をアミノ酸残基と呼ぶ。二〇種類のα―アミノ酸は、それぞれ、三文字記号又は一文字記号の略字(例えばアラニンの場合は「Ala」、「A」)を用いて表示される。どのような順序で、どのようなアミノ酸残基がどれ程結合しているか(蛋白質の一次構造)は、各蛋白質ごとに異なるが、蛋白質のアミノ酸配列は、通常アミノ末端(ペプチド結合せずにアミノ基が残っている端で、「N末端」又は「5'末端」と略称される。)から始まり、カルボキシル末端(ペプチド結合せずにカルボキシル基が残っている端で、「C末端」又は「3'末端」と略称される。)で終る順序で示され、アミノ酸残基には順次番号が付される。
本件特許明細書第5A~C図(別紙目録(五))には、全長t―PAのcDNAのヌクレオチド(塩基、糖及びリン酸が結合したもので、核酸の構成単位)の配列が塩基の記号(シトシンが「C」、チミンが「T」、アデニンが「A」、グアニンが「G」)を用いて示される(それ故、以下においては、説明の便宜上「ヌクレオチド」を「ヌクレオチド(塩基)」と表記することもある。)とともに、右ヌクレオチド(塩基)配列から推定される産生物のアミノ酸配列が三文字記号を用いて示されている。そして、各アミノ酸残基の三文字記号の下には、それに対応する遺伝情報である右t―PAのDNAを構成する各コドン(三つの塩基の組合せからなる遺伝暗号の一単位)が示されており、その中に、N末端がセリン(SER)で始まりC末端がプロリン(PRO)で終る五二七個のアミノ酸残基からなる完全なt―PAに対応するヌクレオチド配列及びそれから推定されるそのアミノ酸配列(以下「本件全長アミノ酸配列」という。)が示されている。また、本件特許明細書第12図には、本件全長アミノ酸配列からなる全長t―PAの構造概略図が一文字記号を用いて示されている。従って、本件特許請求の範囲各項に共通の「以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる」とは、別紙目録(五)記載のアミノ酸配列のうち、六九番のセリンから五二七番のプロリンまでの「部分的アミノ酸配列」(以下「本件部分的アミノ酸配列」という。)を含んでいるということである。
5 本件特許請求の範囲各項に共通の五つの「特性」
(一) 「プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する」(以下「特性①」という。)とは、血液中のプラスミノーゲンがプラスミンに変換することを促進することによって、プラスミンが血栓を形成している線維素を溶解することを増強する生理活性、すなわち生体内の化学変化を円滑にするための触媒作用を行う能力(触媒能)を有するということである。
(二) 「フィブリン結合能を有する」(以下「特性②」という。)とは、血栓の生じている部位(フィブリン〔線維素〕が沈積している箇所)においては高濃度で、それ以外の箇所では低濃度であるという生理活性、すなわちフィブリンに対し高度の親和性(結合能)を有するということである。
(三) 「ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す」(以下「特性③」という。)とは、ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞(ボーズという患者のメラノーマ〔黒色腫〕から得られた細胞由来の細胞)が産生したt―PA(以下、本件発明にかかるt―PAのような組換DNA技術によることなく、ヒト細胞が産生したt―PAを「天然t―PA」という。)をヒト以外の動物に加えると、異物として侵入した天然t―PAを排除しようとして、生体内に天然t―PAに特異的に結合する抗体が生じるが、このような抗体に対して抗原として作用する(特異的に反応を起こす)性質、すなわち天然t―PAと同様の生理活性を有するということである。
(四) 「クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する」(以下「特性④」という。)とは、別紙目録(五)の第5A~C図記載の九二番のシステイン(CYS)から一七三番のシステインまでと、一八〇番のシステインから二六一番のシステインまでの各八二個のアミノ酸配列から形成され、t―PAがフィブリンと結合する作用に関与する領域であるクリングル領域と、同図記載の二七六番のイソロイシン(ILE)から五二七番のプロリン(PRO)までのアミノ酸配列から形成され、t―PAがプラスミノーゲンをプラスミンに変換する作用に関与する領域であるセリンプロテアーゼ領域を含んでいるということである。
(五) 「一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る」(以下「特性⑤」という。)とは、アミノ酸が長く鎖状につながった構造(一本鎖)であるが、環境の条件如何によっては、別紙目録(五)の第5A~C図記載の二七五番のアルギニン(ARG)と二七六番のイソロイシンとの間(公報第12図に矢印で示された箇所)の結合が酵素の作用によって切れて二本鎖に分かれることがあるから(但し、二本鎖に分解開裂してもジスルフィド〔S―S〕結合〔同図記載のCとCの間、すなわちシステインとシステインとの間に太線で示された箇所〕による架橋により両方の鎖は結合しているから、二つの分子に分かれる訳ではない。)、一本鎖構造又は二本鎖構造の二つの存在形態があるということである。
6 本件特許請求の範囲各項に共通の「ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する」(以下「条件①」という。)とは、本件発明のt―PAの産生に使用する宿主細胞はヒト以外の生物の細胞に限るということである。
7 本件特許請求の範囲各項に共通の「ヒト由来の他のタンパクを含有しない組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子」(以下「条件②」という。)とは、組換DNA技術で製造(産生)したt―PAであるうえ、DNA組換工程において、t―PAの産生に関与するヒトの遺伝情報たるDNA断片を使用するのみで、宿主細胞はもちろん、その余の工程においてもヒト細胞以外の細胞・遺伝子を用いて産生されたt―PAであるが故に、ヒト由来の他のタンパクを含まないということである。
8 本件特許請求の範囲第二項の「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAで形質転換されたヒト細胞以外の宿主細胞を、該DNAの発現可能な条件下で培養して、……次いで該組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を回収することを特徴とする、」とは、前示の条件①と同じ意味、すなわち組換DNA技術により、t―PAの遺伝情報を持っているヒトt―PAのDNAを導入して形質転換されたヒト以外の宿主細胞を用いて第一発明のt―PAを産生するために必要な基本的な製造工程を明記したものである。
四 被告らの行為(2については後記証拠により認定、その余は争いがない。)
1 被告東洋紡績株式会社(以下「被告東洋紡」という。)は、米国法人インテグレイテッド・ジェネティックス・インコーポレイテッドから組換DNA技術の導入を受け、業として別紙目録(一)記載の方法(以下「イ号方法」という。)を用いて同目録(二)記載のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子(以下「イ号物件」という。)を製造し、これを販売すること及び同目録(三)記載の血栓症治療用製剤(以下「イ号製剤」という。)を製造、販売することを企図して、滋賀県堅田の研究所内に細胞培養パイロットプラントと無菌製剤施設を建設し、第一製薬株式会社と共同開発契約を締結し、昭和六〇年一二月ころには、同社の協力を得て、イ号物件について薬事法に基づく血栓症治療剤としての製造承認の申請に必要な第一相臨床試験を、その後第二相臨床試験をそれぞれ開始し、平成元年四月には、イ号製剤について薬事法に基づく製造承認の申請を行なった。
2 被告東洋紡は、第一製薬株式会社とイ号製剤の販売契約を締結しており、同社を発売元とし「プラスミナー」との商品名でイ号製剤を販売するとの宣伝活動をしている。
3 株式会社東洋紡バイオテック(以下「東洋紡バイオテック」という。)は、バイオテクノロジーの研究開発を主たる目的の一つとして昭和六〇年一〇月一日に設立された被告東洋紡の子会社であったが、平成元年一月三〇日に、被告株式会社東洋紡医薬(以下「被告東洋紡医薬」という。)に合併、解散した。
4 東洋紡バイオテックは、被告東洋紡と共同して、業としてイ号方法を用いてイ号物件を製造し、これを販売すること及びイ号製剤を製造、販売することを企図し、組換DNA技術を利用するにあたって医薬品等の品質及び製造上の安全性を確保せしめるために厚生省の定めた指針に基づいて、製造に利用する設備、装置並びにその運営管理方法等(製造計画)が該指針に適合していることの確認を厚生大臣に申請したが、右申請を審議した厚生省中央薬事審議会は、昭和六二年三月二五日厚生大臣に対して、右確認申請に係る製造計画が、前記指針に適合する旨の答申を行った。東洋紡バイオテックが右製造計画において、製造に利用しようとする設備、装置は前記1の細胞培養パイロットプラントである。被告東洋紡医薬は、前記合併により東洋紡バイオテックの権利義務一切を包括承継した。
五 主たる争点
1 本件発明には、特許無効の審判を受けるべき事由があるか。
2 本件発明の技術的範囲は、本件特許請求の範囲の記載文言そのままのものに基づいて定めることは許されず、後記第三、二6の構成要件からなるものに限定されるか。
3 イ号物件、イ号方法及びイ号製剤が本件発明の技術的範囲に属するか。
第三主たる争点に関する被告らの主張
一 本件発明には、左記のとおり特許無効の審判を受けるべき事由が存する。
1 新規性の欠如(出願時の技術水準)
本件特許請求の範囲各項に記載された五つの特性(生理活性及び化学構造)は、第一優先権主張(米国第一出願)日である一九八二年(昭和五七年)五月五日以前にボーズメラノーマ細胞由来のものとして取得され既に公知のものである天然t―PAが具備している特性と同じである。また、t―PAをヒト以外の宿主細胞を用いて組換DNA技術で取得するという製造方法も既に右主張日前に公知になっていた。更に、右主張日前、右公知の天然t―PAに実際に血栓症患者に投与され治療効果のあることが認識されていた。
従って、本件特許請求の範囲に記載された三つの発明はいずれも新規性のないものである。
2 新規性の喪失(アミノ酸配列の変更による第一、第二優先権主張の不許)
米国第一、第二出願の各明細書第5A~C図と米国第三出願明細書第5A~C図及び本件特許明細書第5A~C図(別紙目録(五))のアミノ酸配列を比較すると(以下、右各「第5A~C図」は単に右各「第5図」という。)、別紙対照表記載のとおり本件部分的アミノ酸配列に含まれる一七五番、一七八番、一九一番及び五一二番の計四箇所のアミノ酸をコードするDNAのコドンにおける塩基が各一個ずつ計四個違っている。その結果、米国第一、第二出願の各明細書第5図と米国第三出願明細書第5図及び本件特許明細書第5図(別紙目録(五))におけるアミノ酸配列は、右一七五番、一七八番及び一九一番の計三箇所において相違する。これは米国第三出願の際に右アミノ酸配列が変更されたことによるものであるが、アミノ酸配列はt―PAの骨格をなすものであるから、右変更はt―PA、すなわちDNAの実体を変更したことになり、本件発明につき、第一、第二優先権を主張することは許されない。そうすると、原告が主張できるのは第三優先権のみとなるが、第三優先権主張(米国第三出願)日以前である一九八三年(昭和五八年)一月二〇日発行のネイチャー誌に掲載された本件発明者らの「ヒト組織型プラスミノーゲン活性化因子cDNAのクローニングと大腸菌における発現」と題する報文により、本件発明の内容は既に公知となっていたから、第三優先権主張日当時本件発明は新規性を喪失していた。
3 発明未完成(本件特許明細書記載の三種のt―PAの発現例の実体)
本件特許明細書には、本件発明のt―PAの発現例として、次の三種の蛋白質が記載されている。
① 本件特許明細書の第5図(別紙目録(五))記載のアミノ酸配列のうち、六九番から五二七番までのアミノ酸配列(本件部分的アミノ酸配列)を有する蛋白質をコードする遺伝子を組込んだ発現プラスミド「pΔRIPA。」を用いた大腸菌由来の蛋白質(実施例図E. 1. G:以下「発現例①」という。)
② 別紙目録(五)記載のアミノ酸配列のうち、一番から五二七番までのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)を有する蛋白質をコードする遺伝子を組込んだ発現プラスミド「pt-PAtrp12」を用いた大腸菌由来の蛋白質(実施例E. 1. I:以下「発現例②」という。)
③ 別紙目録(五)記載のアミノ酸配列のうち、一番から五二七番までのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)を有する蛋白質をコードする遺伝子を組込んだ発現プラスミド「pETPER」又は「pETPFR」を用いたCHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞)由来の蛋白質(実施例E. 2. B及びE. 3. B:以下、順次「発現例③A」、「発現例③B」といい、一括して「発現例③」という。)
しかしながら、次の理由により、右三種の発現例はいずれも本件発明のt―PAの発現(創製)例とは認められない。
(一) 発現例①は、もともと米国第一出願明細書に唯一の発現例として開示されていたものである。ところが、右2記載のとおりアミノ酸配列を記載した米国第一出願明細書第5図と本件特許明細書第5図(別紙目録(五))とではアミノ酸配列のうち一七五番、一七八番及び一九一番の三箇所に相違があり、米国第一出願明細書に発現例として記載されていた蛋白質は、本件部分的アミノ酸配列とは右三箇所においてアミノ酸残基が相違する別物質である。従って、発現例①は、第一優先権主張(米国第一出願)日である一九八二年(昭和五七年)五月五日当時、本件特許請求の範囲で特定する本件部分的アミノ酸配列を有する蛋白質として実際に創製されたものとは認められない。
(二) 発現例②については、原告自らが実際には創製されたものではない(発現プラスミド「pt-PAtrp12」を用いた発現例ではなかった)ことを表明したうえ、米国においてその特許出願明細書から右発現例に関する記載を発現データも含めて全て削除しているから、実際に創製されたものでないことは明らかである。
(三) 発現例③については、発現ベクターの構築に欠陥があり、論理上五二七個のアミノ酸配列からなる本件全長t―PAを発現することはできず、本件特許明細書に示す発現例というのは架空のものであって、本件発明の特許出願(昭和五八年五月六日)当時ですら実際に創製されていなかった。
(四) 仮に発現例①ないし③が実際に創製されていたとしても、右三種の発現例についてはいずれも、「五つの特性」(特性①ないし⑤)をすべて具備することの実験的確認はなされていない。
二 本件発明の技術的範囲は、限定的に定められなければならない。
右一のとおり本件発明には特許無効の事由が存するから、本件特許請求の範囲の記載文言そのままのものに基づいて本件発明の技術的範囲を定めることは許されず、本件発明の技術的範囲は、以下に示すように、本件特許明細書に開示された事項、出願時の技術水準及び原告の意思表示(原告自らが本件発明に新規性、進歩性があると主張している事項)等を考慮したうえで定められなければならない。
1 「五つの特性」について
「五つの特性」は、前記一1のとおりいずれもボーズメラノーマ細胞が産生する公知天然t―PAが有する特性であるうえに、本件特許明細書中において、本件発明のt―PAが「五つの特性」をすべて具備することの実験的確認はなされていないから、本件発明のt―PAの新規物質として特徴づける要件たり得ない。
2 本件部分的アミノ酸配列について
本件部分的アミノ酸配列は、公知天然t―PAが有する部分的アミノ酸配列である。しかも、前記のとおり発現例①は実際には創製されていない。本件特許明細書中には本件部分的アミノ酸配列を持つt―PAの発現例と認められる実施例はなく、同明細書中において、本件発明のt―PAが本件部分的アミノ酸配列を有することの実験的確認は何等なされていない。
また、同明細書中には、右アミノ酸配列を持つ蛋白質が公知天然t―PAと同種の生物学的性質を持つことも記載されていないし、もちろん同明細書中において、右アミノ酸配列を含んでいさえすれば天然t―PAと同じ生物学的性質を具備した組換t―PAが得られることの実験的確認もなされていない。ちなみに、天然t―PAはアミノ末端から約五〇個のアミノ酸配列領域部分にフィンガー領域と呼ばれる、フィブリンとの結合性において極めて重要な役割を担う特異的なアミノ酸配列を有しているが、仮に本件特許明細書記載のとおり発現例①が本件部分的アミノ酸配列を有するとしても、発現例①は、天然t―PAにおける右フィンガー領域が完全に欠如しているから、天然t―PAと同じフィブリン結合能を有しているとは到底いえない。
そもそも、本件特許明細書の発明の詳細な説明欄の記載及び本件発明に対応する米国特許侵害訴訟事件及び英国特許無効訴訟事件における証言からすると、本件発明者らは、本件全長アミノ酸配列を有する蛋白質(アミノ末端がセリンから始まる五二七個のもの)を本件発明のt―PAと認識しており、発現例①、すなわち本件部分的アミノ酸配列のみを有する蛋白質が本件発明のt―PAであるとの認識は全くなく、甲三二補正書によって特許請求の範囲の記載を補正するまで、本件部分的アミノ酸配列のみを有する蛋白質自体は特許請求すらしていなかった。
従って、本件部分的アミノ酸配列をもって、組換DNA技術によるt―PAを新規物質として特徴づける要件とすることはできない。
3 宿主細胞及びアミノ酸配列について
原告は、本件発明のt―PAは、糖鎖構造が異なる点及びヒト由来の他のタンパクを含有しない点の二点において、公知天然t―PAと異なり新規物質であると主張し、また、糖蛋白質における糖鎖構造は宿主細胞の如何によって相違するとも主張している。
まず、第一点についてみるに、本件特許明細書中には、本件発明のt―PAの糖鎖構造につき解析した形跡はなく、本件発明のt―PAの糖鎖構造がどのようなものであるか全く記載がない。要するに、原告の右第一点についての主張は、本件発明のt―PAがヒト細胞以外の細胞を用いて産生させたものであるから、ヒト細胞が産生する公知のものとは糖鎖構造上何等かの相違があるであろうとの憶測に依拠するものである。ところが、ヒト細胞以外の細胞、すなわちアフリカツメガエルの卵母細胞が産生した糖鎖を有するt―PAが米国第一出願前公知であったから、右憶測のみに基づいて、本件発明のt―PAが糖鎖構造上新規であるとの主張は許されない。そして、糖蛋白質における糖鎖構造は宿主細胞の如何によって相違するとの原告の主張に従えば、糖鎖構造が異なるという原告の主張は糖鎖構造を特定化して比較できない場合は、宿主細胞が特定されてはじめて成立するということになる。
ところで、一般に新規化学物質発明として特許の対象とされるためには、対象となる化学物質が実際に創製されたことが明細書の記載上確認されていなければならない。一方、原告は、本件特許明細書中及び本件発明に対応する米国特許の取得過程において、組換DNA技術によるタンパク産生の予測不可能性、すなわち組換DNA技術によるt―PAの産生取得において、どのような宿主細胞をもってきても目的とするt―PAが産生しうるかということについて、事前に確実に予言もできず又確信もできないことを強調し、その点に本件発明の進歩性があると主張している。本件特許明細書中に本件発明のt―PAを実際に発現したとして記載してあるのは、宿主細胞を大腸菌とするものとCHO細胞とするものの二種のみであるから、本件発明のt―PAとしては、宿主細胞を大腸菌とする糖鎖のないものとCHO細胞特有の糖鎖を持つものに限定される。
次に、前記第二点についてみるに、この点についての原告の主張の根拠も、同第一点についてのそれと同様に、本件発明のt―PAが宿主細胞としてヒト細胞以外の細胞を用いて産生されたt―PAであるから、ヒト由来の他のタンパクを含まないというところにある。ところが、ヒト細胞以外の細胞(アフリカツメガエルの卵母細胞)が産生したt―PAが既に公知であったうえ、t―PAの遺伝子を組込んだ発現プラスミドを大腸菌、すなわちヒト以外の宿主細胞中に導入して組換DNA技術によりt―PAを製造することも米国第一出願前公知であったから、右第二点も本件発明のt―PAの新規性を裏付けるものということはできない。
そもそも、本件発明のt―PAを特定する右第二点の要件は、本件発明のt―PAが当然に「他のタンパクを含む」ことが前提となっており、その細胞由来のタンパクに応じて物(t―PA)が区別できるということであるから、本件発明のt―PAが新規物質であるというためには、本件発明のt―PAの製造において具体的に使用された宿主細胞の特定が不可欠となる。しかして、右宿主細胞由来の夾雑タンパクに関し本件特許明細書には、「これらの夾雑タンパク……は、所望タンパクから除去されないと、所望タンパクによる治療処置の過程で……ヒトに投与した場合有毒となる危険性がある。」との記載があるし、本件特許権取得過程(特許異議答弁書中)において、原告は本件発明のt―PAが夾雑タンパクの安全性の点で優位に立つことを強調している。そうすると、本件発明のt―PAは、本件発明者らがヒト細胞由来の夾雑タンパクと安全性の点で区別できると認識した夾雑タンパクを有するもの、すなわち本件特許明細書中に実際に発現したとして記載してある、大腸菌とCHO細胞という二種の宿主細胞を使用して得られるものに限定されることになる。
ところで、糖鎖はt―PAの骨格であるアミノ酸配列中のアミノ酸残基に結合するものであるから、両者相まってt―PAを特定できることになる。この点につき、本件特許明細書中では、本件発明のt―PAはアミノ酸配列によって定義され、かつ本件全長アミノ酸配列を有する蛋白質(アミノ末端がセリンから始まる五二七個のもの)であることが明らかにされている。また、本件発明者らも、右蛋白質を本件発明のt―PAと認識していることも前記のとおりである。従って、右アミノ酸配列が本件発明のt―PAを特定する必須要件となるべきである。しかして、本件特許明細書中に右五二七個のアミノ酸残基からなるt―PAの発現例として記載されているのは、発現例②、③のみであるが、右各発現例はいずれも米国第三出願時に初めて開示されたものである。
ところが発現例②、すなわち宿主細胞を大腸菌とし、発現プラスミドをpt―PAtrp12とするt―PAは、第三優先権主張(米国第三出願)日である一九八三年(昭和五八年)四月七日以前にネイチャー誌に掲載された本件発明者らの前記報文により既に公知となっていたから、全く新規性がない。しかも、前記のとおり、発現例②は、原告自らが実際に創製されたものではなかったことを表明としたうえ、米国では特許出願明細書から削除しているから論外である。
従って、宿主細胞及びアミノ酸配列の特定という観点からすれば、本件発明のt―PAは、発現例③、すなわち宿主細胞をCHO細胞としCHO細胞由来の夾雑タンパクを含有するもので、かつ本件特許明細書第5図(別紙目録(五))、記載の一番から五二七番までのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)を有するものに限られるということに帰着する。
4 糖鎖構造について
宿主細胞をCHO細胞として産生したt―PAの糖鎖構造については、本件特許明細書には開示されていないが、本件発明の特許出願日より後になされた原告自身の報告によると、右t―PAの糖鎖末端部の糖鎖構造の特徴は、「露出した多量のβ―結合型ガラクトース及び二―三結合型シアル酸のみを有する」ものであることが明らかにされている。
ところで、原告は、本件発明のt―PAが天然t―PAとは糖鎖構造が異なるから新規物質であると主張しているが、一般に、糖蛋白質における糖鎖は、天然のものも組換DNA技術で作ったものもそのコア構造は共通であるから、原告が主張する糖鎖構造とは、コア部分の外側に更に結合する糖鎖末端部の糖鎖構造のことであるといわなければならない。
従って、原告の主張及び認識に徴すると、右の糖鎖末端部の糖鎖構造が本件発明のt―PAを特徴づける重要な構成要件となるべきである。
5 鎖状形態(特性⑤)について
本件特許明細書中には、本件発明のt―PAの一本鎖構造、二本鎖構造を確認した記載が全くないから、同明細書の記載から本件発明のt―PAが一本鎖構造なのか二本鎖構造なのかを特定することはできない。しかしながら、本件発明者の一人であるゴードン・アレン・ヴィハーは、本件発明と対応する米国特許侵害訴訟事件において、「我々が組換で作るタンパクは、初期のころは殆ど全て二本鎖であった」と証言していることからすると、本件特許明細書に開示された本件発明のt―PAは「二本鎖タンパク」ということになる。このことは、原告が本件発明特許出願後において、t―PAは二本鎖タンパクよりも一本鎖タンパクの方が優れていることを知見し、一本鎖タンパクのt―PAの開発に方向転換し、かつ右t―PAにつき後日特許出願した事実からも裏付けられる。
また、原告は本件発明のt―PAは天然t―PAと同様、アミノ酸配列における二七五番のアルギニンと二七六番のイソロイシンとの間で蛋白質が開裂した二本鎖構造であると自認している。
従って、右形態の「二本鎖タンパク」であることは、本件発明のt―PAを特徴づける要件とされるべきである。
6 本件発明の技術的範囲
以上の諸事実を基礎にして考えると、本件発明の技術的範囲は、左記(一)~(三)の構成要件を具備するものに限定されることになる。
(一) 第一発明の構成要件
(1) CHO(チャイニーズハムスター卵巣)細胞を宿主細胞として使用して組換DNA技術によって得られた、
(2) CHO細胞由来の夾雑タンパクを含有し、
(3) アミノ末端がセリンから始まる五二七個のアミノ酸から構成され、
(4) 糖鎖末端部に露出した多量のβ―結合型ガラクトース及び二―三結合型シアル酸のみを有し、
(5) アミノ酸配列における二七五番のアルギニンと二七六番のイソロイシンとの間で蛋白質が開裂した二本鎖タンパクとして存在する、
(6) t―PA。
(二) 第二発明の構成要件
(1) ボーズメラノーマ細胞から本件発明者らがクローニングして得たボーズメラノーマ細胞由来のt―PAcDNAを使用し、
(2) 宿主細胞としてCHO細胞を使用して、
(3) 組換DNA技術によって第一発明のt―PAを製造する方法。
(三) 第三発明の構成要件
(1) 第一発明のt―PAを薬効成分として含有する、
(2) 血栓症治療剤。
三 イ号物件等は本件発明の技術的範囲に属さない。
1 イ号物件等の構成
(一) イ号物件の構成
(1) マウスC127細胞を宿主細胞として使用して組換DNA技術によって得られた、
(2) CHO細胞由来の夾雑タンパクを含有せず、
(3) 主としてアミノ末端がグリシンから始まる五三〇個のアミノ酸から構成され、
(4) 糖鎖末端部に露出したβ―結合型ガラクトースを殆ど有さず、α―結合型ガラクトース及び二―三結合型シアル酸を有し、
(5) 一本鎖タンパクとして存在する、
(6) t―PA。
(二) イ号方法の構成
(1) ヒト正常子宮組織からクローニングして得たヒト正常子宮組織由来のt―PAcDNAを使用し、
(2) 宿主細胞としてマウスC127細胞を使用して、
(3) 組換DNA技術によってイ号物件を製造する方法。
(三) イ号製剤の構成
(1) イ号物件を薬効成分として含有する、
(2) 血栓症治療用製剤。
2 技術的範囲の属否
イ号物件、イ号方法及びイ号製剤は、それぞれ対応する本件発明とは構成(t―PAの遺伝情報を提供する細胞〔起源となるt―PA遺伝子〕、宿主細胞、アミノ酸配列、糖鎖構造、鎖構造)を異にする。しかも、右構成の相違により、左記(一)、(二)の薬効上有意な作用効果の差違を生じるから、イ号物件、イ号方法及びイ号製剤が本件発明の技術的範囲に属さないことは明らかである。
(一) 効果(触媒能)の差違
イ号物件(構成(3))と第一発明のt―PA(構成要件(3))とではアミノ末端のアミノ酸三個が相違するため、フィブリン存在下では、イ号物件の方が第一発明のt―PAよりプラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能(固相線溶)が大きいのに対し、イ号物件(構成(5)・一本鎖)と第一発明のt―PA(構成要件(5)・二本鎖)とでは鎖の構造が相違するため、逆にフィブリン非存在下では、イ号物件の方が第一発明のt―PAより触媒能(液相線溶、すなわち全身出血傾向という副作用)が小さくなる。
(二) 薬物動態(体内滞留時間)の差違
イ号物件(構成(4))と第一発明のt―PA(構成要件(4))とでは糖鎖構造が相違するため、イ号物件の方が第一発明のt―PAより代謝分解され難く体内滞留時間が長くなる。
第四争点に対する判断
一 米国第一、第二出願当時の技術水準
1 米国第一、第二出願当時、天然t―PAに関しては、(一) ヒトメラノーマ(黒色腫)セルライン(細胞株)がt―PAを分泌すること、(二) メラノーマ由来のt―PAは免疫学的及びアミノ酸組成において正常組織から単離されたt―PAと区別し得ない特性を有すること、(三) 比較的純粋な形態で単離されたt―PAは高い活性を有する線維素溶解因子であること、(四) メラノーマセルラインから精製したt―PAはウロキナーゼ型プラスミノーゲン活性化因子(略称u―PA)に比較して線維素に対してより高い親和力を有していること、(五) t―PAは、血液、組織抽出物、血管灌流液及び細胞培養物中には非常に低濃度しか存在していないため、血栓溶解剤としての可能性を更に深く研究することは困難であること、(六) ヒト由来の他のタンパクを実質的に含まない高品質のヒトt―PAを必要充分な量で製造するために最も有効な方法は、組換DNA技術の適用であることが認識されていた。
2 また、当時、天然t―PAの化学構造及び機能(生理活性)に関しては、(一) 分子量は、約六万九〇〇〇~七万二〇〇〇であること、(二) 特性①(プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能)を有すること、(三) 特性②(フィブリン結合能)を有すること、(四) 特性③を有する(ボーズメラノーマ細胞由来のt―PAに対する抗体に免疫反応を示す)こと、(五) 特性④については、一般的特性としてクリングル領域及びセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列(但し、当時t―PAの全アミノ酸配列は未解明であり、両領域のアミノ酸配列、すなわち具体的な一次構造も未解明であった。)を含有すること、(六) 特性⑤を有する(一本鎖または二本鎖として存在する)こと、(七) 二本鎖t―PAは一本鎖分子がタンパク分解的開裂によりジスルフィド結合で接続された二個のポリペプチドになること、(八) 血栓症患者に投与した治療実験では、血栓の溶解が起こっていることが知られていた。
3 一方、当時、組換DNA技術に関しては、目的とする遺伝子を得る技術、組換DNA分子を作成する技術、組換体を作る技術及び組換体の選択技術等のDNA(遺伝子)組換における基本的技術が知られており、既に、これらの技術を用いてヒト血清アルブミン、ヒト白血球インターフェロン、ヒト成長ホルモン、ウロキナーゼ及びヒト免疫インターフェロン等の生理活性を有する蛋白質が生産されていた。
二 本件発明の技術的課題(目的)
米国第一、第二出願当時の右技術水準からすると、当時t―PAは血栓溶解剤として有用な蛋白質であることが確認されていたものの、ヒトの組織を細胞培養して得られる天然t―PAを入手することができるにすぎず、また、その得られる量が極めて少ないうえに、t―PAが非常に長い鎖構造であるために、血栓溶解剤としての研究開発を進めることが困難であったと考えられる。
一方、当時技術開発の進歩が著しかった組換DNA技術、いわゆるバイオテクノロジーを用いて有用な蛋白質を生産することが実現しつつあり、世界各国においてt―PAなどの有用物質の開発競争が繰広げられていた。しかし、前示のように、当時、組換DNA技術によってある種の有用蛋白質を生産できることが知られていても、t―PAには天然t―PA自体微量しか入手できないこと及びt―PAのmRNAはその濃度が極めて低いうえに非常に長い鎖構造であること等の困難な技術的課題があったことから、t―PAが組換DNA技術によって生産できることを確実に予測することは困難であった。
右のような状況下において、本件発明の技術的課題は、前示のt―PA及び組換DNA技術に関する公知の知見を基にして、組換DNA技術によるt―PAの充分な量の生産及びt―PAの血栓溶解剤としての開発にあった。
三 本件発明の技術的課題の解決
1 本件特許明細書の発明の詳細な説明欄には、組換DNA技術によるt―PAの製造方法、組換t―PAの活性検出及び産生レベルに関して次の記載がある。
(一) 好適具体例の概説の項には、概略左記のとおり、組換DNA技術を用いて所望のt―PA(第一発明のt―PA)を産生するまでの基本的な製造工程が順を追って記載されている。
(1) t―PAを産生するヒトメラノーマ細胞を培養した。
(2) 培養された細胞から細胞質RNAを単離した。
(3) オリゴdTカラムを用い全mRNAをポリアデニル化形態で単離し、更にゲル電気泳動により全mRNAをサイズ分画した。
(4) 各ゲル画分のRNAを翻訳し、得られた蛋白質をt―PA特異的IgG抗体で免疫沈降し、t―PA特異的RNAを含むゲル画分を同定した。
(5) 適切なRNA(21乃至24S)を対応する一重鎖cDNAに転換し、該cDNAから二重鎖cDNAを製造した。ポリーdCを末端につなぎ、一種以上の表現型マーカーを含むプラスミドの如きベクター内に挿入した。
(6) 前記の如く調整されたベクターを使用して細菌細胞を形質転換し、クローン化cDNAライブラリーを調製した。t―PA中の既知のアミノ酸配列のコドンと相補的な放射活性標識―合成デオキシオリゴヌクレオチドのプールを調製し、コロニーライブラリーのプローブに用いた。
(7) ポジティブな(プローブに対して陽性反応を示した)cDNAクローンからプラスミドDNAを単離し配列決定した。
(8) t―PAをコードしている配列決定したDNAを適当な発現ベクターに挿入するために末端処理し、該発現ベクターを適当な宿主細胞に形質転換し、宿主細胞を培養により増殖させ、所望のt―PAを産生させた。
(二) 実施例のE. 1の項には、(1) 発現例①、すなわち宿主細胞を大腸菌(E. coli)、発現プラスミドをpΔRIPA。として発現した本件部分的アミノ酸配列を有するt―PAの製造工程の主要な工程、(2) 全長t―PAのcDNAのヌクレオチド配列及びそれから推定される完全なt―PAのアミノ酸配列等の化学構造、(3) 発現例②、すなわち宿主細胞を大腸菌、発現プラスミドをpt―PAtrp12として発現した本件全長アミノ酸配列を有するt―PAの製造工程の主要な工程及び右t―PAの活性(線維素溶解能)試験の結果が具体的に記載されている。
(三) 実施例のE. 2の項には、発現例③A、すなわち宿主細胞をCHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞)、発現プラスミドをpETPERとした本件全長アミノ酸配列を有するt―PAについて、(1) 第11図に見られるようにt―PA断片をそれぞれ部分的にコードしているpPA25E10、pPA17及びpt―PAtrp12から調製された全長t―PAをコードする配列を含むプラスミド(pETPER)を構築したこと、(2) このプラスミドをCHO細胞にトランスフェクトし、目的とする形質転換されたCHO細胞を培地上に発生させて得たコロニーを数世代まで増殖させ、得られたコロニーを単離したことが記載されている。もっとも、同項をはじめとして本件特許明細書中には、右発現プラスミドpETPERにより発現例③A(本件全長アミノ酸配列を有するt―PA)の発現を確認したことの明示の記載は見当らないが、同項には、「トランスフェクトされ増幅されたコロニー中のt―PAの発現は、E. 1. K. 1. bで説明した方法(前記)と同様の方法で簡便に検定され得る。」と記載されていることからすると、少なくともE. 1. K. 1. a. bで説明されている方法で後記表1に示されているpΔRIPA。を含むE. coli(大腸菌)培養抽出物の活性化測定方法と同じ方法、すなわちt―PAを含む溶液をプラスミノーゲン溶液とインキュベートした後に形成されるプラスミンを測定することによってt―PAの発現の有無を検出することができることは示されている。
(四) 実施例のE. 3の項には、発現例③B、すなわち宿主細胞をCHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞)、右(三)の発現プラスミドpETPERと同様の方法で構築したpETPFRを発現プラスミドとして産生された本件全長アミノ酸配列を有するt―PAの製造工程の主要な工程及び同発現例の増殖条件別の産生量が具体的に記載されている。
(五) 発現例①、②につき、表1にはpΔRIPA。で形質転換されたE. coli(大腸菌)培養抽出物が、表2にはpt―PAtrp12で形質転換されたE. coli培養抽出物が、それぞれ抗t―PA抗体活性(特性③)を示すことが数値データ(パーセント活性)をもって示されているし、また、第7図にはpΔRIPA。で形質転換されたE. coli培養抽出物が天然t―PAと同様の線維素溶解活性(特性①)を有することが示され、第10図にはpt―PAtrp12で形質転換されたE. coli培養抽出物が線維素溶解能(特性①)を有することが示されている。
(六) 発現例③Bにつき、表3にはpETPFRで形質転換させたCHO細胞の増幅によってかなりの量のt―PAが産生できることが示されている。
なお、本件特許明細書中には、発現例①及び②については各培養抽出物が天然t―PAと同様の生理活性(特性①、③)を有することを確認した旨の記載があるのに対し、発現例③については右確認をした旨の明示の記載がないけれども、同明細書中には、(1) E. 3. Bの項に、「……pETPFRを使用して……CHO細胞……をトランスフェクトした。選択用培地……で発生した21個のコロニーをアッセイするために、……線維素及びプラスミノーゲンを含む寒天プレート中の線維素の消化によって測定されるプラスミン形成を測定した。」、「次にE. 1. K. 1. bに記載した方法により、最もポジティブなクローンのうち4個の細胞当りのプラスミン形成を定量的に検定した。……前記の如き定量測定により、4個の被検クローンが、……培地内t―PA分泌を示すことが知見された。」と記載され、(2) 表3の注には、抗原抗体反応を利用して培地中のt―PAを検出及び定量する方法として、ウサギ抗t―PA抗血清のIgGを使用したラジオイムノアッセイ法を用いたことが記載されているから、右(1)記載のクローンの各測定をもって、発現例③Bの培養抽出物が特性①を有することの確認に代え、また、右(2)記載のアッセイ(検定)をもって、同培養抽出物が特性③を有することの確認をしたものと考えられる。
2 右1の(一)ないし(六)の記載内容を総合すると、本件特許明細書中には、DNA技術を用いてt―PAを製造するための主要な技術事項として、(一) 全長t―PAのcDNAのヌクレオチド配列及びそれから推定されるアミノ酸配列(全長t―PAに対応するcDNAの開始コドン〔ATG〕から停止〔終止〕コドン〔TGA〕に至るヌクレオチド配列及びそれから推定される別紙目録(五)記載のマイナス三五番のメチオニンから五二七番のプロリンに至る五六二個の全アミノ酸配列を含む。)、(二) ヒトメラノーマ細胞から得られたt―PAmRNAを起源とするt―PAcDNAを組込んだ発現ベクターを構築し、このベクターで大腸菌又はCHO細胞を形質転換し、この形質転換細胞を培養し、増殖させてt―PAを産生させる各工程の具体例、(三) この具体例によりt―PAが充分量産生したこと、(四) 産生したt―PAが天然t―PAと同様の生理活性(特性①、③)を有することを確認したことが記載されていると認められる。
3 そして、右記載内容を含む本件特許明細書の全記載及び全図面を総合すれば、本件発明は、組換DNA技術によってt―PAを製造する際に必須のt―PAの全アミノ酸配列を解明し、当業者であれば天然t―PAに代えて組換DNA技術によって充分な量のt―PAを実際に入手できる具体的な技術情報を開示し、医薬品(血栓溶解剤)としての市場認可に先立って必要とされる動物実験及び臨床実験を遂行するのに充分な質及び量のt―PAを製造することを実施可能にし、前示の本件発明が技術的課題とした事項を解決したものと認められる。
四 被告ら主張の無効事由について
特許発明に無効事由があるか否かの判断は、もとより特許庁及び同庁審判を起点とする出願系裁判所の専権事項であるが、特許権の侵害停止請求を審理する裁判所においても、出願前全部公知等の重大かつ明白な無効事由がある場合には、特許発明の技術的範囲の確定ないし特許権の主張の可否に重大な影響を及ぼすから、事案の解決に必要な限度でその存否を判断しうるものと解するのが相当である。従って、右の観点から、以下被告ら主張の無効事由を検討する。
1 新規性の欠如に関する主張について
本件特許明細書及び図面の記載内容、並びに《証拠省略》によれば、本件発明者らは、(一) 第一、第二優先権主張の米国第一、第二出願当時の既知の条件、すなわち(1) t―PAmRNAが微量である、(2) t―PAmRNAの濃度が極めて低い、(3) t―PAmRNAが非常に長いという条件の下に、合成オリゴヌクレオチドプローブ法に従い、まずボーズメラノーマ細胞からmRNAを採取し、これを逆転写してcDNAを作り、次に既知のt―PA部分長アミノ酸配列に対応する塩基配列の合成オリゴヌクレオチドを調製し、これをプローブにしてハイブリダイゼーションでアミノ末端が欠けた部分長t―PAcDNA断片を採取し、更に右の欠けた部分を採取するためにt―PAのアミノ末端に近いDNA配列を有する別の合成オリゴヌクレオチドを調製し、これをプローブにしてハイブリダイゼーションでアミノ末端を含む部分長t―PAcDNA断片を採取し、これらをつないで全長t―PAのcDNAを得たうえ、そのクローニングに初めて成功した点、(二) 全長t―PAcDNAのヌクレオチド(塩基)配列の解析を行い、t―PAmRNAの塩基配列を決定し、その結果全長t―PAのアミノ酸配列を解明した点、(三) t―PAcDNAを組換えて宿主細胞中で発現させて得られたt―PAの生物活性(特性①、③)を確認している点において、米国第一、第二出願当時組換DNA技術を用いてt―PAを製造するための技術的課題とされていた主な困難点を解消し、かつ組換DNA技術によるt―PA製造に必須の要件であるt―PAのアミノ酸配列の解明及び組換DNA技術によって当業者が容易に天然t―PAと同様の生理活性を有するt―PAの産生を再現できる程度の開示に成功したものと認められる。
この点につき、被告ら指摘の一九八二年(昭和五七年)一月四日発行のヨーロピアン・ジャーナル・オブ・バイオケミストリー誌に掲載された「ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対するメッセンジャーRNA」と題する報文には、ボーズメラノーマ細胞由来のt―PAmRNAをアフリカツメガエルの卵母細胞中に注入し、その翻訳生成物がt―PAとしての活性を有することを確認したことが記載されているけれども、同報文上からも右mRNAが純粋な全長のものが単離して使用されたとは認められないうえ、そのmRNAの注入方法も、メラノーマ細胞由来のmRNA溶液を卵母細胞中へ単に注入するというものであって、組換DNA技術(cDNAのクローニング、すなわちmRNAを単離し、それからcDNAを調製してこれをクローン化する方法)とは明らかに相違するものである。また、同報文記載の方法で産生したことを確認したとされる物質は、t―PAの特性①の触媒能及び特性③の免疫反応を有することが確認されたのみであり、それが天然t―PAないし本件発明のt―PAと同一の構造及び同一の特性①ないし⑤全部を有するt―PAであるとの確認もなされていない。そのうえこの物質は、卵母細胞中のt―PAのmRNAが翻訳する(すなわち、mRNAが持つ遺伝情報に対応して、アミノ酸から蛋白質が生合成される)ものに限られることから見て、その産生量は微量かつ、限定的であって、cDNAをクローン化した場合のようにt―PAを大量生産することは困難である。更に、同報文中には「比較的低コストでの大量生産を達成するための一つの可能性は、外因性プラスミノーゲン活性化因子の遺伝子を大腸菌の発現プラスミドに挿入することである。この方向への第一の段階として、著者らはボーズメラノーマ細胞から活性型の外因性プラスミノーゲン活性化因子のメッセンジャーRNAを単離した。」、「我々の研究の目的は、外因性プラスミノーゲン活性化因子の遺伝子を原核生物のベクターにクローン化するための出発物質およびプローブとして外因性プラスミノーゲン活性化因子のmRNAを単離精製することであった。」と研究の最終目的が記載されているだけで、単離したmRNAからcDNAを調製して組換DNA技術を用いてこれをクローン化するための具体的な試みは何等記載されていない。従って、同報文があっても、本件発明の新規性を否定することはできない。
また、被告ら指摘の一九八一年(昭和五六年)一一月七日発行のザ・ランセット誌に掲載された「予備報告―外因性(組織タイプ)プラスミノーゲン活性化因子の投与による腸骨大腿骨血栓の特異的溶解―」と題する報文には、天然t―PAを静脈内投与した治療実験の考察において、HEPA(t―PA)を大量生産する可能性の一つとして、発現プラスミド中にt―PAの遺伝子(DNA)を組込んで行うバクテリアによる生合成であることが抽象的に指摘されているに止まり、その具体的方法について示すところがない。従って、同報文も、本件発明の新規性を否定する資料と認めることはできない。
そのほか被告ら提出の鑑定書及び供述書を参酌しても、この点に関する被告らの主張は採用できない。
2 新規性の喪失に関する主張について
米国第一出願明細書第5図において開示された全長t―PAのcDNAのヌクレオチド(塩基)配列及びそれから推定されアミノ酸配列のうち一七五番、一七八番、一九一番及び五一二番の四箇所(但し、アミノ酸配列については右のうち一七五番、一七八番及び一九一番の三箇所)が、米国第三出願時に補正(変更)されて本件特許明細書第5図(別紙目録(五))記載の全長t―PAの塩基配列(アミノ酸配列)となった(別紙対照表)。ところが、米国第二出願と米国第三出願との間である一九八三年(昭和五八年)一月二〇日発行のネイチャー誌に掲載された「ヒト組織型プラスミノーゲン活性化因子cDNAのクローニングと大腸菌における発現」と題する報文において、本件発明者らは、本件特許明細書記載の発現例①、②に関する知見を発表し、同報文第3図Bに本件特許明細書第5図と同内容の全長t―PAの塩基配列(アミノ酸配列)を開示した。
ところで、本件特許明細書第5図のt―PAのヌクレオチド(塩基)配列及びそれに対応するアミノ酸配列を決定するために使用されたcDNAクローンpPA25E10及びpPA17のうち、pPA25E10は、右第5図のヌクレオチド二四三番から始まる二三〇四bp(ベースペア=塩基対)からなるもの、すなわち同図の二四三番から二三〇四番までの塩基(アミノ酸では、同図の一九番から五二七番までを含む。)をコードするDNA断片であり、pPA17は右第5図のヌクレオチド一番から始まる二七一bpからなるもの、すなわち同図の一番から二七一番までの塩基(アミノ酸では、同図の一番から二七番までを含む。)をコードするDNA断片であり、前示の変更された四箇所の塩基配列及び三箇所のアミノ酸配列は、いずれもpPA25E10に含まれるものである。
そこで、まず、pPA25E10の特定に至る経緯に関する本件特許明細書の記載を見ると、(一) ヒトメラノーマ細胞から得られたmRNAを分画し、その各ゲル画分から得られたものの翻訳産物(蛋白質)を抗t―PA特異的IgGで免疫沈降させたところ、主な免疫沈降ポリペプチドバンドは、分子量約六三〇〇〇のRNA画分No.7及びNo.8の翻訳産物中に見られたこと、(二) そのゲル画分mRNA(No.7のmRNA)から二重鎖cDNAを調製し、このcDNAはプラスミドpBR322(全体は四三六二bpから構成されている。)とアニールし、次いでE. coli K12株 294に形質転換させたこと、(三) その四六〇〇個の形質転換株のcDNAコロニーライブラリーを増殖させ、それと32P―標識プローブ(既知のアミノ酸配列W―E―Y―C―Dに対応する八種の塩基配列の合成デオキシオリゴヌクレオチド)とハイブリダイズさせ、その中でポジティブな反応を示した一二個のコロニーからプラスミドDNAを単離したこと、(四) DNA配列の決定は、これらのコロニーの各々からのcDNAインサート(挿入体)について鎖終止法及びマキシムギルバート法で行ったこと、(五) コロニー25E10中のcDNAインサートのアミノ酸配列と精製t―PAから得られたペプチド配列との比較及びE. coli中で産生される発現産物とから、このcDNAインサートがt―PAをコードするDNAであることが判明したこと、(六) クローン25E10をプラスミドpPA25E10と命名したことが示されている。
次に、クローンpPA25E10の発現試験に関する本件特許明細書の記載を見ると、(七) pPA25E10を制限酵素によって消化させて得た、六九番から一一〇番までのアミノ酸配列に対応する塩基配列を有する断片と、一一一番から五二七番までのアミノ酸配列に対応する塩基配列を有する断片とを、ベクター断片に結合させて、t―PAの六九番から五二七番までのアミノ酸配列(本件部分的アミノ酸配列)に対応する塩基配列を有するcDNA断片を含むプラスミドpΔRIPA。を構築し、E. coli 294に形質転換させ、このプラスミドの発現産物を試験したところ、所望のt―PAを産生していたこと、(八) pΔRIPA。を含むE. coli培養抽出物は、表1によると抗t―PA抗体に活性を有すること、第7図によると天然t―PAと同様の線維素溶解能を示すことが、それぞれ開示されている。
本件特許明細書中の右(一)ないし(八)の記載内容、本件発明者の一人であるディヴィット・ヴァンノーマン・ゲデル(以下「ゲデル博士」という。)の宣誓供述書、同宣誓供述書及びこれに表示された証拠書類、並びに同じく本件発明者の一人であるダイアン・ペニカ(以下「ペニカ」という。)の宣誓供述書に表示された証拠書類を総合すると、本件発明者らは、t―PAの六九番から五二七番までのアミノ酸配列(本件部分的アミノ酸配列)に対応する塩基配列を決定するために使用されたcDNAクローンpPA25E10が、天然t―PAと同様に生理活性(特性①の触媒能及び同③の免疫反応)を具備することを確認していたことが認められる。
以上の事実に、前示のネイチャー誌掲載報文を本件発明者らが作成するにあたってt―PAの塩基配列を有するcDNAクローンを取得し直した形跡はないこと、t―PAは約二五〇〇bpからなるが、米国第一、第二出願当時の技術水準では、このような長さを有する長鎖のDNAの全塩基配列を完全かつ正確に解析(決定)することが困難な状況にあったと考えられることを総合すると、前示の米国第三出願時の塩基配列及びそれに対応するアミノ酸配列の変更は、米国第一出願時のcDNAの塩基配列解析の誤りによる配列の誤記を訂正したものであって、cDNAあるいは発現産物であるt―PAの実体を変更するものではないと認められる。
従って、本件特許明細書第5図(別紙目録(五))に示す塩基配列(アミノ酸配列)は、実質的には米国第一出願明細書第5図に開示されていたものと同じと認めるべきであるから、米国第三出願前に右ネイチャー誌が発行されたことにより、本件発明が新規性を喪失することはない。
被告ら提出の出願当時の技術水準に関する鑑定書及び供述書は、被告ら主張の本件発明の新規性の喪失を認めさせるに足るものではなく、この点に関する被告らの主張は採用できない。
3 右2の主張に関連する別紙Ⅰ、Ⅱ及びⅢに基づく主張について
(一) ゲデル博士の宣誓供述書及びこれに表示された証拠書類、並びにペニカの宣誓供述書に表示された証拠書類には、被告らが主張するように、本件発明者らがボーズメラノーマ細胞のmRNAからクローニングにより最初に取得し「25E10」と命名した部分クローン(以下「第一クローン」という。)について、(1) 第一クローンから切出したDNA断片を組込んで発現プラスミドpΔRIPA。を構築し、発現試験を行ったこと、(2) 第一クローンの五〇番のアミノ酸の後のDdel部位から発現させたこと、(3) プラスミドpΔRIPA。による発現試験により、第一クローンがt―PAcDNA断片であることが確認されたこと、(4) 第一クローンの全塩基配列のmRNA及びこれに対応するアミノ酸配列についてコンピュータプリントアウト(以下「第一クローン図」という。)したこと、(5) 第一クローンは5'アミノ末端が欠落している二三〇四bpの長さを有していたこと。但し、第一クローン図のop〔終止コドンのこと〕には番号509が付されているが、右番号はその一つ前のpro〔プロリン〕に付すべきものと考える。)が記載されている。そして、本件特許明細書には、被告らが主張するように、クローン25E10は、同明細書第5図(別紙目録(五))に示される二四三番から始まる二三〇四bpの長さを有し、五〇八個のアミノ酸からなるタンパクをコードしており、七四三bpの3'非翻訳領域を含むが、N末端(5'アミノ末端)をコードする配列が欠失したクローンであることが記載されているから、これは第一クローン図に示されたものと符合するものであると一応考えられる(但し、公報には五〇八個とあるが、五〇九個の誤記であると考える。)。そうすると、被告らが主張するように、第一クローン図の一番のアミノ酸が、本件特許明細書第5図及び米国第一出願明細書第5図の一九番のアミノ酸に対応し、以下同様に一八番ずつアミノ酸番号がずれてそれぞれ対応することになる。
(二) (別紙Ⅰ及びⅡに基づく主張)
被告らは、右(一)に基づき前記2の主張に関連して、以下の理由により、第一クローン図又は米国第一出願明細書第5図に示されたt―PAと、本件特許明細書第5図(別紙目録(五))に示されたt―PAとは同一ではないと主張する。
(1) 別紙Ⅰは、本件特許明細書第5図を基準にして六九番から五二七番のアミノ酸配列について、第一クローン図、米国第一出願明細書第5図及び本件特許明細書第5図の間で、アミノ酸残基又は塩基に相違のある部分を抽出して対比したものである。別紙Ⅱは、同様に本件特許明細書第5図を基準にして一九番、二〇番及び二一番のアミノ酸残基及びこれに対応する塩基について、これら三者を対比したものである。但し、別紙Ⅰ、Ⅱは対比の便宜上、第一クローン図におけるmRNA表記(mRNA表記の「U」)をDNA表記(対応するDNAの塩基「T」)で示したものである。
(2) 別紙Ⅰによれば、本件発明者らが発現プラスミドpΔRIPA。に組込んだt―PAの六九番から五二七番までのアミノ酸配列をコードするDNAは、米国第一出願明細書第5図記載の六九番から五二七番までのアミノ酸配列をコードするDNAと同じであるが、本件特許明細書第5図に示されたDNAとは一七五番、一七八番、一九一番及び五一二番の計四箇所のアミノ酸をコードするDNAのコドンにおける塩基が各一個ずつ相違しており、この相違は発現する蛋白質において一七五番、一七八番及び一九一番のアミノ酸計三箇所の相違をもたらすものである。
別紙Ⅱによれば、第一クローンは、米国第一出願明細書第5図及び本件特許明細書第5図に示されたDNAとは一九番、二〇番及び二一番のアミノ酸をコードする部分において、塩基が九個中八個相違しており、これら九個の塩基に対応する一九番、二〇番及び二一番のアミノ酸三箇所が同明細書第5図記載のものと相違するDNA、すなわちt―PA遺伝子に対応しないDNAであった。
(三) しかし、前記2認定の事実に照して考えると、別紙Ⅰ及び別紙Ⅱ指摘の差違・変更は、cDNA又はmRNAの塩基配列解析の誤りによる配列の誤記を後日訂正したものと認められるから、被告らの右主張は採用できない。
(四) (別紙Ⅲに基づく主張)
また、ペニカの宣誓供述書に表示された証拠書類には、被告らが主張するように、25E10に欠落していた5'アミノ末端領域を有するクローンの一つであるクローンⅩⅧに関し、(a) 「HhaI部位が失われていた。」、(b) 「HhaI部位でCからTへの単一塩基対変化を保有していることが見出された。」との記載がある。
被告らは、右記載に基づき前記2の主張に関連して、次のとおり主張する。
HhaIは、25E10(第一クローン)と第一クローンに欠落していた5'アミノ末端領域を有するクローン(以下「第二クローン」という。)との両クローンが共通して保有する制限酵素部位であり、本件特許明細書第9図(又は第5図)に示されているアミノ酸残基のうち二二番のロイシン(LEU)と二三番のアルギニン(ARG)にまたがる部位にある。クローンⅩⅧに関する右(a)、(b)の事実を別紙Ⅲに図解すると、別紙Ⅲ中、長方形内の塩基対がHhaI認識配列であり、点線はHhaI切断部位を示し、下線を付した塩基TがCからTへ変化したことを示し、①~④はこの単一塩基対変化のケースとして四通りがあり得ることを示している。そうすると、別紙Ⅲに示すとおり、クローンⅩⅧはHhal該当部位が①~④の四通りの配列のうちのいずれかであったことを意味するから、いずれもHhal部位の塩基CがTへ変化した、t―PA遺伝子に対応しない所謂人工物であった可能性があるものである。しかも、ケース①及び④であれば、二三番のアミノ酸も変化している。このように、本件発明者であるペニカ自身もt―PAcDNAクローニングにおいて、本件特許明細書第5図(別紙目録(五))に示されたt―PAcDNAとは異なった塩基配列をもったDNA断片(第二クローン)を取得していたから、原告が米国第一出願明細書第5図に示されたt―PAと本件特許明細書第5図に示されたt―PAとが同一であることの根拠の一つとして主張する「ヒトゲノム中に存在するt―PA遺伝子は一個であるので、取得されるt―PAcDNAは唯一種だけである。」及び「t―PAの遺伝子は一個であるから、ヒトの如何なる組織から分離調製されるDNAであろうとその塩基配列に変りはない。」は、本件発明者自身が経験した事実に反する根拠のないものである。
(五) そこで検討するに、右証拠書類には、(1) 「82.3.5実験ノート8第83頁:伸長されたクローンⅩⅦの全長配列が記録された。クローンⅩⅥ、ⅩⅦ及びⅩⅧが欠落していた5'末端領域をもっており(今やt―PAの末端ペプチド配列が判明した)、ⅩⅦが最長のものであった。欠落していた5'末端領域を見出すに81.10.20から82.3.5迄かかった。伸長されたクローンⅩⅦは後にpPA17と再命名された。」、(2) 「全長cDNAクローンの構築/一度25E10及びpPA17が得られたからには、両部分クローンによって共有されている共通のHhal制限エンドヌクレアーゼ部位を使用してt―PAの完全なコード配列を再構築することが可能であった。pPA17及び25E10を発現ベクターpt―PAtrp12に結紮するステップは特許の第9図に図解されている。制限断片は消化されたDNAの電気分解ゲルから適当な長さの断片の溶出によって単離された。」、(3) 「82.3.6 実験ノート8第86~88頁:5'クローンPA18からの断片の単離。Sau 3a+Hhal用いて80bpのBg1Ⅱ―HgiA断片が開裂されたが、正しくない長さの断片が得られ、そしてHhal部位がこのクローンから失われていたと考えられた。」(四四頁九~一三行。右記載中に被告ら主張の記載(a)がある。)、(4) 「82.3.9 実験ノート9第2~7頁:クローン17から250bpのBg1Ⅰ―Bg1Ⅱ断片が調製され、そしてこの断片がクローニングできるかどうかを調べるためにHhalで切断された(クローン18はHhal部位でCからTへの単一塩基対変化を保有していることが見出された)。PA17からのHhal―Bg1Ⅱ断片がSau 3aで切断され、そして55bpのSau 3a―Hhal断片が全長結合用に単離された。この断片はたくさん作られた、実験ノート9第25頁。」(右記載中に被告ら主張の記載(b)がある。)との記載がある。
右(1)ないし(4)の記載によれば、後にpPA17と再命名されたクローンⅩⅦは25E10に欠落していた5'アミノ末端領域をもっており、右両部分クローン(25E10及びpPA17)によって共有されている共通のHhal制限エンドヌクレアーゼ部位を使用してt―PAの完全なコード配列を再構築することが可能であったということであるから、本件発明者らは、最終的にクローンⅩⅦが本件特許明細書第5図(別紙目録(五))に示されたt―PAcの塩基配列を有するcDNA部分クローンであることを確認していたものと認められる。
以上のとおりであるから、右被告ら指摘の事実があっても、当裁判所の判断を左右することはできない。
4 発明未完成に関する主張について
(一) 発現例①について
被告らが発現例①は実際に創製されたものとは認められないと主張する根拠は、発現例①は、もともと米国第一出願明細書に唯一の発現例として開示されていたものであるが、同明細書第5図と本件特許明細書第5図(別紙目録(五))とではアミノ酸配列のうち一七五番、一七八番及び一九一番の三箇所に相違がある事実であり、この事実から、被告らは、米国第一出願明細書開示の発現例と本件特許明細書記載の発現例①とは右三箇所においてアミノ酸残基が相違する別物質であると主張する。
しかしながら、前記2、3で判示したように右両発現例は同一物質と認められるから、この点に関する被告らの主張は採用できない。
(二) 発現例②について
被告らが発現例②は実際に創製されたものとは認められないと主張する根拠は、発現例②は、発現プラスミド「pt―PAtrp12」を用いた発現例ではなかったことを原告自らが表明したうえ、米国においてその特許出願明細書(米国第三出願明細書)から右発現例に関する記載を発現データも含めて全て削除しているというものである。
そこで、この点について見ると、本件発明に対応する米国特許出願の過程において、本件特許明細書記載の発現例②に対応する記載のうち、線維素溶解能アッセイに関する全記載、「pt―PAtrp12の発現に関しては、……第10図に於ける詳細な説明を参照されたい。」との記載、pt―PAtrp12のE. coli培養抽出物によるプラスミノーゲン活性化を示す表2及び同表に関する全記載が削除され、第10図の説明に関する記載のうち「E. coliW3110/pt―PAtrp12」が「t―PA発現ベクターを含むE. coliW3110(ATCC27325)」と訂正され、「第10図は、pt―PAtrp12で形質転換されたE. coliにより産生されるヒトt―PAの線維素溶解能に対するフィブリンプレートアッセイの結果を示す図である。」との記載から「pt―PAtrp12で形質転換された」との記載が削除されたものの、右発現例に関する記載そのものが全て削除されたのではなく、E. coli中での成熟ヒトt―PAの直接発現をコードするプラスミドpt―PAtrp12が調製されたことは、本件発明に対応する米国特許明細書(以下「米国特許明細書」という。)に依然として記載されている。そして、原告は右削除、訂正につき、本件発明者らは、天然t―PAの一番から五二七番のアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列と同じ)をコードする全長のcDNAを含んでいる三つのクローンを取得し、それらのクローンの一つを組込んだ発現プラスミドを構築することに成功し、pt―PAtrp12と命名したが、本件発明に対応する英国特許無効訴訟の過程において、米国第三出願明細書中で右プラスミドpt―PAtrp12のものであると記載されている表2及び第10図は、全長t―PAをコードする全長クローンを含んでいるプラスミドのものではあるものの、それがpt―PAtrp12のものであることを証明する資料(実験記録ノート等の基礎データ)を探し出すことができなかったことから、米国第三出願の過程において、同明細書中から裏付けのないpt―PAtrp12という発現プラスミドの名称と該名称による特定を除くために、右削除、訂正による補正をしたと説明している。
ところで、米国特許明細書の実施例E. 1. Iの項、第9図及び同図の説明の項には発現プラスミドpt―PAtrp12を構築する過程が詳細に記載されているし、その第10図及び同図の説明の項にはt―PA発現ベクターを有する大腸菌由来の蛋白質は線維素溶解能のフィブリンプレートアッセイの結果、線維素溶解能は抗t―PA抗体により阻害されることが記載されている。右記載を含む米国特許明細書の全記載によれば、右t―PA発現プラスミドの発現は、全長t―PAのcDNAを含むpt―PAtrp12によるものにほかならないことが推認できる。そうすると、米国第三出願の過程において右削除、訂正がなされたにもかかわらず、米国特許明細書(右削除、訂正後の米国第三出願明細書)には、依然として発現プラスミドpt―PAtrp12の発現を確認したこと、すなわち発現例②創製の事実が開示されていると認めるのが相当である。
被告ら提出の米国第三出願における審査官面接記録及び補足回答等も右認定を覆すに足りず、この点に関する被告らの主張は採用できない。
(三) 発現例③について
被告らが発現例③は実際に創製されたものとは認められないと主張する根拠は、発現例③について、本件発明特許出願の過程で、右発現プラスミドの構築に使用したと出願当初明細書に記載していた原料プラスミドの一種である「pΔRIPA。」を、これとは全く別のプラスミド「pt―PAtrp12」に置換する明細書の補正を行った事実であり、被告らは、これは、原告が発現ベクターの構築欠陥のため論理上一番から五二七番までの五二七個のアミノ酸配列からなる全長t―PAを発現することはできないことを認めて、右発現プラスミドの構築欠陥を見掛け上修復したものである旨主張する。
そこで、この点について見るに、本件発明特許出願後同公告前に、発現例③に関する「……(t―PA)をコードする配列を……発現プラスミドに以下の手順で挿入する(第11図)……。オーバラップするt―PAプラスミド、pPA25E10、pPA17及びpΔRIPA。……から3種の断片を以下の如く調製した。」との記載の中「pΔRIPA。」が「pt―PAtrp12」に補正されたことは(但し、公報45欄22~23行に「発現プラスミンド」とあるのは「発現プラスミド」の誤記と認める。)、被告ら主張のとおりである。しかしながら、右補正前の明細書には、補正の対象となったプラスミド(以下「該プラスミド」という。)から得られる断片について、① 該プラスミドを「Pstl及びNarlで消化し、約310bpの断片を単離した。」、(2) 右「310bp」の断片は、t―PAのアミノ酸配列の七番~一一〇番に対応する塩基配列をコードするDNA断片である(第11図)、(3) pPA25E10、pPA17及び該プラスミドから構築された発現ベクターpETPFRを組込んだCHO細胞からt―PA、すなわち発現例③Bが発現したこと、(4) 該断片をベクターに組込んだCHO細胞を用いて産生したt―PA、すなわち発現例③Bの産生レベルが「未増幅培養物でも0.5pg/細胞/日より高いt―PA産生量を示す」との記載がなされている。右事実に、ゲデル博士の宣誓供述書を総合考慮すると、発現例③Bは実際に産生されたものと認められる。そうすると、該プラスミドから得られる断片は、発現例③Bを産生させるための発現可能なベクターpETPFRを形成しうるものでなければならない。一方、プラスミドpΔRIPA。はt―PAのアミノ酸配列の六九番から五二七番までをコードしているものであるから、プラスミドpΔRIPA。を用いた場合、発現例③Bが発現可能なベクターを形成するために必要なt―PAのアミノ酸配列の七番~一一〇番に対応する塩基配列をコードするDNA断片を取り出すことができないことは明らかである。また、その塩基配列断片を含み、かつ制限酵素Pstl及びNarlによる消化により約三一〇bpの断片を得られるプラスミドはt―PAのアミノ酸配列の一番から五二七番に対応する塩基配列をコードしているDNA断片を有するpt―PAtrp12であることは、本件特許明細書の記載から容易に理解できることである。そして、他に、Pstl及びNarlで消化し、三一〇bpの断片を単離できるプラスミドが存在することを認めるに足りる証拠はない。従って、「pΔRIPA。」を「pt―PAtrp12」にする補正は、単なる誤記の訂正と認めるのが相当である。
被告ら提出の出願当時の技術水準に関する鑑定書及び供述書、並びに米国特許出願第四五八一五三号出願明細書及び特開昭五九―一八三六九三号公報も右認定を覆すに足りず、この点に関する被告らの主張も採用できない。
(四) 「五つの特性」について
被告らは発現例①ないし③が「五つの特性」すべてを具備することの実験的確認がなされていないから、本件発明は未完成であると主張する。
しかしながら、発現例①、②及び③Bについては、前示のように天然t―PAが有する特徴的な線維素溶解能活性(特性①)及び抗t―PA抗体活性(特性③)を具備することが確認されている。また、発現例②、③Bは、いずれも天然t―PAと同じヒトt―PADNAの転写(DNAの持っている遺伝情報の写し取られたmRNAが生合成されること)及び翻訳(細胞内でmRNAの持つ遺伝情報に対応してアミノ酸から蛋白質が生合成されること)によって産生されたものであるから、特段の事情のない限り天然t―PAと同一のアミノ酸配列を有するものであると考えられる。そうすると、発現例②、③Bは、天然t―PAにおいて知られているのと同じフィブリン結合能(特性②)及び化学構造(特性④、⑤)を有するものと推認することができる。
従って、右被告らの主張は採用できない。
五 本件発明の技術的範囲
特許発明の技術的範囲は、明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定められる(特許法七〇条一項)。もっとも、特許請求の範囲の記載文言だけでその技術的事項が客観的、一義的に明白といえない場合には、必要に応じて明細書の発明の詳細な説明を参酌することが許され、また、出願当時当業者にとって技術的に自明な事項(技術常識、周知慣用の技術)を判断資料とすることができる。しかしながら、当該特許発明に出願前全部公知等の重大かつ明白な無効事由が存するなど、特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基礎づけられることなく発明の技術的範囲を定めることはできない。従って、本件発明の技術的範囲は、後記六に判示するように本件特許請求の範囲に記載された全ての事項を要件とするものと解釈すべきである。
しかるに、被告らは本件発明の技術的範囲は、本件特許請求の範囲の記載文言そのままのものに基づいて定めることは許されず、前記第三、二6の構成要件からなるものに限定すべきであると主張するので、以下この点に関する被告らの主張につき検討する。
1 「五つの特性」に関する主張について
第一発明のt―PAは「五つの特性」をその構成要件とするものではあるが、右各特性の新規性が問われているわけではない。第一発明のt―PAは、天然ではなく組換DNA技術によって製造されたt―PAであり、天然t―PAが必然的に有する固有の糖鎖構造を有しない点において新規物質であると解すべきである。「五つの特性」は天然t―PAの有する特性であって、これが本件発明のt―PAを新規物質として特徴づける要件たり得ないとの被告らの主張は、失当というほかない。
2 本件部分的アミノ酸配列に関する主張について
本件全長アミノ酸配列及びその一部である本件部分的アミノ酸配列は、天然t―PAが有する全長及び該当の部分的アミノ酸配列と同一である。そして、前記認定のとおり、本件部分的アミノ酸配列を有する発現例①が創製され、かつ、発現例①について天然t―PAが有する特徴的な線維素溶解能活性(特性①)及び抗t―PA抗体活性(特性③)を確認していることは前記判示のとおりであるから、少なくとも本件部分的アミノ酸配列を有する蛋白質部分は、天然t―PAと同じ生理活性を有することが明らかにされたものと認められる。本件特許請求の範囲にいう「以下の部分的アミノ酸配列を含んでいる」とは、本件発明のt―PAは、少なくとも天然t―PA中の六九番から五二七番までのアミノ酸配列であるところの、本件部分的アミノ酸配列を有する蛋白質であることを構成要件の一つとすることを意味するものにすぎず、この構成要件に加えて、天然t―PAが有する特徴である「五つの特性」すべてを具備すること等後記六の構成要件すべてを充足する物質が本件発明のt―PAに該当するのであり、被告ら主張のフィブリン結合能を欠くものは特性②を欠如することになるから、本件発明のt―PAには該当しないのである。
従って、本件部分的アミノ酸配列は本件発明のt―PAを新規物質として特徴づける要件たり得ないとの被告らの主張は採用できない。
3 宿主細胞及びアミノ酸配列に関する主張について
被告らは、本件発明のt―PAは、発現例③、すなわち宿主細胞をCHO細胞としCHO細胞由来の夾雑タンパクを含有するもので、かつ本件特許明細書第5図(別紙目録(五))記載の一番から五二七番までのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)を有するものに限られるとし、その根拠として、(一) アフリカツメガエルの卵母細胞が産生した糖鎖を有するt―PAが米国第一出願前公知であった旨、(二) 発現例②は第三優先権主張(米国第三出願)日以前に公知となったうえ、実際に創製されたものではなかった旨主張する。
しかしながら、(一) 被告ら主張のアフリカツメガエルの卵母細胞が産生した物質は、前記四1で判示したとおり、当該卵母細胞中ヘメラノーマ細胞由来のt―PAmRNAを含む溶液を単に注入した結果の産生物であって、組換DNA技術(cDNAのクローニング)使用によるものとは明らかに相違し、かつ、右産生物は、t―PAの特性①及び特性③を有することが確認されたのみで、それが天然t―PAないし本件発明のt―PAと同一の構造及び同一の特性①ないし⑤すべてを有するt―PAであることが確認されているわけではない、(二) 発現例②は、前記判示のとおり、実際に創製されたと認められ、第三優先権主張日前に公知となった旨の被告らの主張は理由がないから、結局、被告らの前記主張も採用できない。
4 糖鎖構造に関する主張について
被告らは、原告は本件発明のt―PAが天然t―PAとは糖鎖構造が異なるから新規物質であると主張していることを理由に、本件発明のt―PAは、発現例③の宿主細胞であるCHO細胞から産生した「露出した多量のβ―結合型ガラクトース及び二―三結合型シアル酸のみを有する」糖鎖末端を有することを構成要件とする旨主張する。
しかしながら、本件特許請求の範囲には糖鎖構造につき何等の記載もなく、「糖鎖構造が異なる」ことは本件発明のt―PAの構成要件とされていない。これは、組換DNA技術を用いてt―PAを製造する本件発明は、宿主細胞として原核生物由来の細胞と真核生物由来の細胞のいずれもが使用され得るが、一般に組換DNA技術を用いて蛋白質を製造する場合、(一) 宿主細胞に原核生物の細胞を用いると、得られる蛋白質が、本来は糖蛋白質であっても、糖鎖のないものが得られること、(二) 宿主細胞に真核細胞を用いた場合には、本来が糖蛋白質であると、糖鎖のある糖蛋白質が得られるが、その糖鎖構造は、宿主細胞として用いられた真核細胞如何によって異なること、(三) 同一種の真核生物の細胞を用いた場合にも、その細胞の由来する臓器如何によって、また、培養条件如何によって糖鎖構造の異なることのあることがそれぞれ知られていたことと、本件特許明細書中に「所謂クリングル領域は、セリンプロテアーゼ部分より上流に位置しており、本件発明の組織プラスミノーゲン活性化因子を線維素マトリックスに結合させ、これにより、実際に存在する血栓に対して組織プラスミノーゲン活性化因子の特異的活性を発揮せしめるための重要な役割を果たす。」と記載されているように、t―PAの線維素溶解能は、主としてクリングル領域及びセリンプロテアーゼ領域を形成している主鎖によってもたらされるということに基づいている。それ故、同明細書中に、「宿主細胞次第でヒト組織プラスミノーゲン活性化因子は天然物質に比較して異なった程度でグリコシル化された状態のものが得られる。」(なお「グリコシル化」とは、糖鎖が結合することである。)、「グリコシル化の位置及び程度は、宿主細胞環境の性質に依存するであろう。」と記載して、本件発明のt―PAに含まれる組換t―PAには、その糖鎖構造に差のあることを説明している。そして、本件特許明細書に記載されている三種の蛋白質の発現例のうち、発現例①及び同②は、いずれも原核生物たる大腸菌を宿主細胞とするから糖鎖を有さない蛋白質であり、発現例③は真核生物たるCHO細胞を宿主細胞とするから糖鎖を有する蛋白質であるが、同明細書中において、少なくとも本件部分的アミノ酸配列を有していれば、糖鎖の有無にかかわりなく、線維素溶解能活性(特性①)及び抗t―PA抗体活性(特性③)、すなわち天然t―PAと同種の生物学的性質を有していることが確認されているから、糖鎖の存在ないし構造は本件発明のt―PAが目的とする生物学的性質を有するために必須のものではない。
従って、糖鎖構造が異なる点は本件発明のt―PAの二次的な特徴にすぎないというべきであるから、糖鎖末端部の糖鎖構造が本件発明のt―PAを特徴づける重要な構成要件となるとの被告らの主張は採用できない。
5 鎖状形態(特性⑤)に関する主張について
被告らは、「アミノ酸配列における二七五番のアルギニンと二七六番のイソロイシンとの間で蛋白質が開裂した二本鎖タンパク」であることが、本件発明のt―PAの構成要件である旨主張するが、被告らの全主張・立証を参酌しても、被告らの右主張は採用できない。
六 本件発明の構成要件
以上によれば、本件第一ないし第三発明の構成要件の分説は、次のとおりになる。
1 第一発明の構成要件
(一) ヒト細胞以外の宿主細胞が産生する(条件①)、ヒト由来の他のタンパクを含有しない(条件②)、
(二) プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有する(特性①)、フィブリン結合能を有する(特性②)、ボーズ(Bowes)メラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する抗体に免疫反応を示す(特性③)、
(三) クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列を含有する(特性④)、一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る(特性⑤)、
(四) 本件部分的アミノ酸配列を含む、
(五) 組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子(t―PA)。
2 第二発明の構成要件
(一) 組換DNA技術を用いて、ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子をコードしているDNAで形質転換されたヒト細胞以外の宿主細胞を、該DNAの発現可能な条件下で培養して、次いで該組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子を回収することを特徴とする、
(二) 第一発明のt―PAを産生する製造方法。
3 第三発明の構成要件
(一) 第一発明のt―PAを有効成分として含有させた、
(二) 血栓症治療剤。
七 本件発明とイ号物件、イ号方法及びイ号製剤との対比
1 第一発明とイ号物件との対比
(一) 第一発明の構成要件(一)について
(1) 起源となるt―PA遺伝子
ヒトのt―PA遺伝子は一個であるから、その遺伝子がヒトのどの組織に由来するものであっても、その遺伝情報たるDNAの塩基配列は同じである。第一発明は起源となるt―PA遺伝子を限定していないから、イ号物件がヒト正常子宮組織のt―PA遺伝子を起源としていることは、第一発明の技術的範囲に含まれることを否定する根拠たり得ない。
(2) 宿主細胞としてのマウスC127細胞
イ号物件は宿主細胞としてマウスC127細胞を使用するものであるが、第一発明は、宿主細胞としてヒト細胞以外の真核細胞及び原核細胞(構成要件(一)の条件①)を使用するものであるから、マウスC127細胞もこれに含まれることは明らかである。
この点について、被告らは、「本件特許明細書中には、マウス細胞を宿主細胞として使用したとの記載はないし、その可能性を示唆する記載もない。本件発明の宿主細胞は、同明細書中に記載された三つの発現例(実施例)に用いられた大腸菌又はCHO細胞に限定される。」と主張するが、第一発明は、組換DNA技術を用いて初めて製造されたt―PAである点に特徴を有するものであるから、本件特許明細書中の発明の詳細な説明の記載、特に実施例に限定して解釈しなければならない理由はない。しかも、同明細書中には、実施例に大腸菌又はCHO細胞を宿主細胞として用いているほか、有用な宿主細胞としてVERO(アフリカ緑ザル腎臓由来細胞)、BHK(ハムスター〔シリアン又はゴールデン〕腎臓由来細胞)、COS―7(アカゲザルより分離されたDNA腫瘍ウィルスであるSV40で形質転換したアフリカ緑ザル腎臓細胞)及びMDCK(イヌ腎臓細胞)等が記載されている。右記載からも、第一発明が、宿主細胞として各種の哺乳動物を用いることを含むものであることは明らかである。そして、組換DNA技術の宿主細胞として、マウスC127細胞は、右各種の哺乳動物細胞と同様のものと考えられるし、米国第一出願当時、一般にマウスC127細胞が組換DNA技術において宿主細胞として用いられていたことも認められる。
従って、被告らの前記主張は採用できず、イ号物件が宿主細胞としてのマウスC127細胞を用いることは、構成要件(一)の条件①(ヒト以外の宿主細胞が産生する)を充足する。
(3) マウスC127細胞由来のタンパクの産生
イ号物件を製造するイ号方法に鑑みると、イ号物件が、t―PAの産生に関与するヒトの遺伝情報たるDNAの断片を使用するのみで、ヒト由来の他のタンパクを含有しないことは明らかである。従って、イ号物件は、第一発明の構成要件(一)の条件②(ヒト由来のタンパクを含有しない)を充足する。
(二) 第一発明の構成要件(二)について
イ号物件は、構成要件(二)の特性①(プラスミノーゲンをプラスミンに変換する触媒能を有することに争いがなく、また、同特性②(フィブリン結合能)を有し、同特性③(ボーズメラノーマ細胞由来のヒト組織プラスミノーゲン活性化因子に対する免疫反応)を有することは明らかである。
(三) 第一発明の構成要件(三)について
(1) イ号物件は、構成要件(三)の特性④(クリングル領域およびセリンプロテアーゼ領域を構成するアミノ酸配列)を有することが認められる。
(2) イ号物件は、五二七個のアミノ酸残基からなるものも、五三〇個のアミノ酸残基からなるものも、いずれも本件部分的アミノ酸配列を含んでいることは後記(四)で判示するとおりであるから、イ号物件は、当然本件特許明細書第5図(別紙目録(五))記載の二七五番のアルギニン、二七六番のイソロイシンをそのアミノ酸配列中に有している。イ号物件が全て一本鎖構造を有するタンパクであるとしても、前記第二、三5(五)で判示したとおり、イ号物件は右アルギニンとイソロイシンとの間がタンパク分解酵素によって分解されて二本鎖構造のものとなり得るから、イ号物件は、構成要件(三)の特性⑤(一本鎖または二本鎖タンパクとして存在し得る)を充足することは明らかである。
(四) 第一発明の構成要件(四)について
イ号物件は、五二七個のアミノ酸残基を有するt―PAと、グリシンから始まる五三〇個のアミノ酸残基を有するt―PAとからなり、前者と後者の割合は二五対七五となっている。それ故、イ号物件は、主としてグリシンから始まるアミノ酸から構成されるt―PAであると特定できる。そして、イ号物件のうち、五二七個のアミノ酸残基からなるt―PAのアミノ酸配列は、本件特許明細書第5図(別紙目録(五))に記載されている一番から五二七番までのアミノ酸配列(本件全長アミノ酸配列)と同一であり、五三〇個のアミノ酸残基からなるt―PAのアミノ酸配列は、右五二七個のアミノ酸残基からなるt―PAのアミノ酸配列をそのまま含み、そのアミノ末端(N末端)側にアルギニン、アラニン、グリシンというアミノ酸残基三個が付加された配列のt―PAであり、いずれも第一発明の特許請求の範囲(別紙目録(四))記載の「部分的アミノ酸配列」(本件部分的アミノ酸配列)をそっくりを含んでいる。
なお、付言するに、
(1) イ号物件は、ヒト―PAcDNAを含む発現ベクターによって形質転換されたマウスC127細胞が産生したものである。そして、ヒトt―PAcDNAは一つであるのは前示のとおりであるから、その遺伝子の転写及び翻訳によって産生する蛋白質は、特段の事情のない限り同じである。それ故、イ号物件のグリシンから始まる五三〇個のアミノ酸配列は、本件特許明細書第5図(別紙目録(五))記載のマイナス三番のグリシンから五二七番のプロリンまでの五三〇個のアミノ酸配列と同じである。右マイナス三番のグリシンから五二七番のプロリンまでの五三〇個のアミノ酸配列を有するイ号物件は、形質転換されたマウスC127細胞のt―PAcDNAが翻訳されて産生された直後の前駆体ポリペプチド(右第5図のマイナス三五番から五二七番までの五六二個のアミノ酸配列からなる蛋白質)が、マウス127細胞から分泌される際に、シグナルプレ配列(前駆体ポリペプチドの持っている「シグナルペプチド」と呼ばれる余分のアミノ酸配列で、細胞膜を通過するのに必要な信号を有するものである。)が切れて、グリシンから始まる五三〇個のアミノ酸残基からなる成熟タンパク(t―PA)として産生したものにすぎないものと考えられる。
(2) 被告東洋紡の技術導入先であるインテグレイテッド・ジェネティックス・インコーポレイテッドの特許出願公開公報(特開昭六一・一四九〇九四号、発明の名称「組換えDNAによって製造されたヒト子宮組織プラスミノーゲン活性化因子」)には、右公開公報の発明の詳細な説明欄に記載の方法によって得られるt―PAの推論されるアミノ酸配列とともに、右t―PAcDNAのヌクレオチド(塩基)配列が第1図(その1~その6)として開示されており、これを整理したものが、別紙目録(六)である。別紙目録(六)と同目録(五)(本件特許明細書第5図)とを対比すると明らかなように、アミノ酸残基に付した番号は、前者がマイナス三八番から五二四番であるのに対し、後者がマイナス三五番から五二七番であって違っているものの、両者のアミノ酸配列は始めから終りまで全く同じであり、いずれも同目録(四)記載の本件部分的アミノ酸配列を含んでいる。
また、右公開公報の発明の詳細な説明欄には、「本発明は治療用蛋白質を産生するための組換えDNA技術の使用、特に蛋白質、ヒト子宮組換プラスミノーゲン活性化因子(ヒト子宮TPA又はuTPAと略する)を産生するためのこのような技術の使用に関するものである。」、「……宿主たる動物細胞としてはマウス線維芽細胞:C127、……等が挙げられる。」、「上記培養された形質転換細胞は、他のヒト蛋白質を含まず、かつ非uTPAを含まず、少なくとも99重量%まで精製され得るuTPAを産生するために使用される。」、「第5図は本発明の哺乳類動物の発現ベクターの構築図解表示である。第6図は本発明の他の哺乳類動物の発現ベクターの構築の図解表示である。第7図は本発明の他の哺乳類動物の発現ベクターの構築の図解表示である。」、「ヒト子宮TPAをコードするcDNAは次の主工程に従って産生されクローン化された。1)全てのmRNAはヒト子宮組織から単離された。2)uTPAのmRNAは全てのmRNAから濃縮された。3)cDNAは3'と5'cDNA配列を与えるように、TPAのmRNAから合成された。4)3'と5'cDNA配列は中間体プラスミドベクター中で完全なcDNA配列を与えるように結合された。」、「宿主細胞の形質転換はウシのパピロマウィルス(BPV)により遂行される。」、「pCL28-uTPA-BPVまたはpBMTH-uTPAプラスミドDNAはWiglerら……のトランスフェクション技術の変法を用いて、下記の如くマウスC127細胞へ導入した。」、「形質転換細胞は常法により培養され、そしてTPAは常法により培養液から継続的に採取した。pCL28-uTPA-BPV またはpBMTH-uTPAを含む形質転換されたマウスC127細胞は24―28時間毎に培地交換さえすれば、コンフェルト細胞培養として60日まで生存する。」、「組換え哺乳類動物細胞によって生産される活性型子宮TPAは宿主細胞培地から回収される。」及び「1本鎖tPAの割合は98%であった。」との各記載がある。右各記載を総合すると、イ号方法は、右公開公報の発明の詳細な説明欄に開示された方法であり、イ号物件は同公報記載の方法によって得られるt―PAであると認められる。
(3) 右公開公報の発明の詳細な説明欄には、「第1図においてアミノ酸+1、-3および-6の前の垂直線は開列部位を示す。」との記載があるが、「アミノ酸+1」は本件特許明細書第5図(別紙目録(五))の四番のバリン(VAL)、「-3」とは一番のセリン(SER)、「-6」とはマイナス三番のグリシン(GLY)にそれぞれ該当する。右記載は、同公報記載の方法によって宿主細胞内で産生された蛋白質(前駆体ポリペプチド)が、宿主細胞の細胞膜を通過して細胞外に分泌される際に、右第1図(別紙目録(六)・その1)に示されている三箇所のいずれかの部位でシグナルペプチド部分が切れて、宿主細胞外に分泌蓄積されることを意味する。そうすると、イ号物件のうち五二七個のアミノ酸からなるものは、-3部位で切れたものであって、本件特許明細書第5図(別紙目録(五))に記載されている一番のセリンから五二七番のプロリンまでの五二七個のアミノ酸(本件全長アミノ酸配列)を有するt―PAであり、五三〇個のアミノ酸からなるものは、-6部位で切れたものであって、右第5図マイナス三番のグリシンから五二七番のプロリンまでの五三〇個のアミノ酸を有するt―PAであり、いずれも本件部分的アミノ酸配列をそのまま具えるものであると認められる。
以上によれば、イ号物件は、構成要件(四)(本件部分的アミノ酸配列を含んでいる)を充足する。
(五) 第一発明の構成要件(五)について
イ号物件が構成要件(五)(組換ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子)を充足することは当事者に争いがない。
(六) 従って、イ号物件は、第一発明の構成要件をすべて充足するから、その技術的範囲に属する。
(七) 糖鎖構造に関する被告らの主張について
米国第一出願当時において、生理活性タンパクの糖鎖に関する具体的な知見はほとんどなかった。そして、本件特許明細書には、糖鎖に関し、「宿主細胞次第でヒト組織プラスミノーゲン活性化因子は天然物質に比較して異なった程度でグリコシル化されたものが得られる。」、「更にグリコシル化の位置及び程度は宿主細胞環境の性質に依存するであろう。」との各記載、第12図の概略図に関して、「四個の可能なN―グリコシル化部位があり、このうち三個はクリングル領域の一一七番、一八四番、二一八番のアスパラギンに存在しており、他の可能な部位はL鎖領域の四四八番に存在している。」、「二一八番のアスパラギンがグリコシル化されていないようであるのが判明した。」旨の記載がある。そうすると、第一発明は、糖鎖を構成要件としていないが、宿主細胞としてヒト細胞を除外していることから(構成要件(一))、ヒト細胞が産生する糖鎖を有するt―PAは含まれないものであることは明らかである。
そこで、被告ら主張のイ号物件の糖鎖について見るに、右糖鎖の構成は、宿主細胞のマウスC127細胞によって形成された糖鎖の先端部分(糖鎖のコアの外側に結合する部分)を特定するものである。しかし、マウスC127細胞は第一発明の宿主細胞に含まれることは前示のとおりであるから、イ号物件の糖鎖構造を理由に、イ号物件が第一発明の技術的範囲に含まれないと解することはできない。
2 第二発明と二号方法との対比
イ号物件が第一発明の技術的範囲に属するt―PAであること(構成要件(二))は前示のとおりであり、イ号方法が構成要件(一)を充足することは明らかである。
従って、イ号方法は、第二発明の構成要件をすべて充足する。
3 第三発明とイ号製剤との対比
イ号製剤は、イ号物件を有効部分として、従来医薬品に慣用されている添加剤を混合した血栓症治療用製剤である。そして、イ号物件が第一発明の構成要件をすべて充足することは前示のとおりであるから、イ号製剤は、第三発明の構成要件をすべて充足することは明らかである。
4 薬効に関する被告らの主張について
被告らは、イ号物件ないしイ号製剤の方が、本件発明のものよりも、治療薬としての使用に際して触媒能及び代謝分解などにおいて優れた薬効を奏すると主張する。
しかしながら、右主張は、イ号物件ないしイ号製剤と本件発明の構成要件とを対比するのではなく、本件発明の実施品(原告が米国で市販しているt―PA製剤「アクチバーゼ」)及び本件特許明細書記載の実施例による産生物とを対比しているにすぎないこと、被告らにおいて薬効が優れていると主張している事項はいずれも医薬品の分野において同質の範疇に属する事項にすぎないことに照し、採用できない。
第五結論
以上によれば、イ号物件、イ号方法及びイ号製剤は、いずれも本件発明の技術的範囲に属する。そして、被告らは共同して、業として、既にイ号方法を用いてイ号物件及びイ号製剤の製造をしており、イ号物件又はイ号製剤の宣伝広告をするなどしてその販売体制を整えているものと認められる。被告らの右各行為のうち、イ号物件及びイ号製剤の製造は本件特許権を侵害する行為であり、右製造に係るイ号物件及びイ号製剤の所有、並びにイ号物件又はイ号製剤の販売のための宣伝広告はいずれも本件特許権を侵害するおそれのある行為である。
よって、原告の本訴請求はすべて理由があるから、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 庵前重和 裁判官 長井浩一 裁判官森崎英二は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 庵前重和)
<以下省略>